松戸神社の四神 参照 四神伝説 (平成2年11月23日放映) 星空の楽しみ.(リンク)

メソポタミアを起源とした星の観測はその後ギリシャ・ローマに伝わり現在のおなじみの星座となりました。
太陽が一年かかって恒星の間を通り抜けるように見える天上の道を「黄道」といいます。黄道上にある星座(おとめ座しし座)は昔から重要なものとみなされていました。それが星占いにも使われているの12の星座です。

一方、古代中国人は北極星を皇帝に、そして天帝の集まる周辺を宮殿を囲う城壁に見立てました。そしてその四方にきらめく星座を皇帝を鎮護する動物、東の青龍西の白虎北の玄武南の朱雀としたのです。

松戸神社の四神


極めるU

四神伝説

松戸神社の四神




四神の思想はその後、地上における都造りにも影響を与えました。
青龍を表す流水を、西に大道あるを白虎に窪地あるを朱雀、そしてに丘陵あるを玄武としたのです。

唐の都長安は四神の思想にあわせて作られました。
天子は北に住むため、都に入る門は南に設けられ、朱雀門となずけられていました。その手法は朝鮮から日本にも伝わり藤原京を経て、中国風の都・平安京に至って、完全な四神相応の地となりました。
また相撲の土俵の天蓋の四隅の房の色も四神をあらわしています。

都の地形


参考極める2「四神伝説」平成2年11月23日放映
相撲の土俵



江戸の祭では四神像に旗を付けて練り歩きました。
戦国時代、四神はすでに本来の意味を失い、単におめでたいものとして鶴亀などに変わってしまっておりましたが、天皇家では、古代からの伝統がなお受け継がれ、大嘗祭をはじめ、天皇家の儀礼に四神旗が使われ、天皇家の象徴となっていました。

江戸を京、大阪を凌ぐ都市にしようと目論んでいた徳川家康は、江戸を新しい文化の中心地に育てるため、天皇家の象徴である四神をつかって大嘗祭の庶民版ともいえる祭りを演出したのです。

しかし明治維新以後、天皇が東京に移ると、四神像は天皇家への遠慮から人の目をはばかり、江戸の祭の四神も姿を消してしまいました。
しかし、水戸家の影響下にあった松戸では、それでもなお四神像が使われていたのですが、60年前の戦乱の中で、途絶えてしまったのです。

明治が終り、大正が過ぎ去り、昭和が幕を閉じました。そして平成の初年度、松戸神社の倉庫に眠っていた四神は蘇り、平成二年、松戸市民の前に江戸の祭が再現されたのです。

4jin

昭和初期の四神と獅子屋台 角町三叉路で Yamamuro様提供

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記念テレフォンカード

菊池健蔵画



夜空の四神の配置と二十八宿 (地上とは東西は逆です)
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