日本とアメリカ 「不許可写真」と「兵器広告」

陸軍97式軽爆撃機・・・きれいな飛行機だが・・・


風防まで消してしまった乗員も行方不明
驚きとお笑いの修正写真
戦争中の軍は防諜のために兵の手紙も検閲したが、新聞社にも検閲官は厳しい、様々な報道規制をした。
(重要情報は筒抜けで、頭かくして尻かくさずの規制だったが・・・)


戦時中の新聞は、「○○基地の○○指揮官は・・・」などと、なんだか判らない記事が多くあったが、当然報道写真にも厳しい修整を指示した。
(なかには防諜どころか、みっともないので修正させたのではないか、というものもあるが・・・)

その極端な例は左上の写真の陸軍97式軽爆撃機(三菱製)。

東京−ロンドンを快記録で飛んだ神風型が原型の、スマートな機体だったが、軍の検閲官は下の写真のように修整させた。

左写真は「不許可写真」毎日新聞社(究極の修正とコメント)


一方、アメリカは兵器を広告・・・

広告に見るアメリカ航空産業の企業戦略 『ウエポンズ アド』 (WEAPONS AD)
編+著 西村直紀 平成元年10月20日発行 発行所 グリーンアロー出版社


アキレス腱はない

文字挿入
ヨーロッパ戦線で活躍したボーイングB−17(『メンフィス・ベル』も同型機・太平洋戦線でも「空の要塞」として活躍)の頑丈さは定評があったが、これほどすごい写真は見たことがない!!
またそれを兵器広告に使う感覚にも脱帽!これでは勝てるわけがなかった
日本でも甚大な被害を受けながら、帰還した機体を公開展示したことがあったが、機体の優秀さの見本としてでなく、パイロットの大和魂を讃える道具としてつかっていたようだ。

ボーイングB17の広告
アキレス腱はない
【ボーイング社のサブコピー・訳】
ほとんどふたつに切断されたフライング・フォートレスは論理的に飛べるはずがない。戦闘機による猛烈な反撃にあった。混戦の中、メッサーシュミットは、操縦不能に陥りフライング・フォートレスと激突した。その衝突でドイツ戦闘機は破壊された。「フォートレス」の胴体は上から下、斜めに切断されてしまった。この時、後部銃手は突然、危ういポジションに置かれることになった。

彼はかろうじて前部と後部をつなぐ部分のせまい床構造材を伝って前部胴体に逃れた。そしてこのフォートレスは1時間45分の飛行を続け、基地に完璧な着陸を行なったのである。しばしばボーイング・フォートレスに対して「どうやってそれができたのか?」という質問が向けられる。

我われのフォートレスは両翼の大きな部分を吹き飛ばされ、さらに胴体には2,000ヵ所の弾痕をつけ帰投した。

別の機体は垂直尾翼に「航法士が歩いて通り抜けられるほどの」大穴をあけられて帰投した。

また別の機体は砲火によって方向舵、昇降舵の操縦索をともに断ち切られて帰投した。

どうやって帰ることができたのだろうか。
その答は、ボーイングのデザインである。
フォートレスには敵の攻撃に弱点となる
アキレス腱がないのだ
その部分にかかる力をひとつの構造材で保持していない。機体の大きな部分が不幸にも破壊されたとしても、フォートレスは飛行を続け、敵の空を逃れ、帰投するだけの十分な強度を持っている。

(理由はほかにも多くある。ボーイング製品の高潔さもひとつである。確実で保守的な技術、誠実な作業、彼らの製造したものはいつも期待以上のものであった。今日の真実は、将来、平和な時代でも真実になろう。「ボーイングで製造」は優れたものの代名詞となるだろう。) 


大丈夫だよ、ママ

文字挿入
これはなんともすてきな、N・ロックウェルの絵のような好感あふれる兵器コマーシャル!!キャッチコピーがまたいいですね!!

ベルP−39の広告
大丈夫だよ、ママ
【ベル社のサブコピー・訳】
我われは、夫人にこう言わざるを得ない。

夫人の子供は戦場に行った。アメリカの我われ全員は我らの戦士が帰ることを望んでいた。
彼らを安全に帰国させるために我われは最高の装備を送らねばならない。
最高の装備とは
食糧、衣服、医薬品、銃器、戦車、そして航空機である。

米陸軍がなぜベル・エアラコブラを好んだかという理由は、
強固な装甲版がパイロットを守っている設計による。弾丸が当たっても自身でその破口をふさぐセルフ・シーリング・タンク、銃弾に耐える防弾ガラス、機首の37mm機関砲(破裂砲弾は敵がいかなる防弾措置をほどこしても敵に大きな損害を与える)

このように
安全のための措置は、航空機の重量を増加させる。この設計段階で彼らの前に立ちふさがる重量の問題は大きい。だがアメリカ人青年は安全に帰国しているのである。

彼らが帰国する時、彼らは平和な航空機を求めている。その航空機とは、幼年期の航空機とは異なる。その時、航空機は安全で単純でより有用でより経済的である。
あなたは航空機工業が数年の戦いでこれらの要求を満足させる航空機をまの当たりにするであろう。
ベル P39 エアロコプラ戦闘機
傑作機B17とくらべ、まったくの凡作機で、太平洋戦線でゼロ戦とも戦った。「エアロコプラ」というニックネームだったが、あの坂井三郎氏などのベテランパイロットからは、「かつお節」とあだ名され、いとも簡単に落とされたそうだが、打たれ強さは同時期の他の米機と共通していたようだ。


いずれの広告も兵士を無事に帰還させること、特に「養成するには莫大な費用と期間のかかるパイロット」を『安全に基地に戻すことのできる』兵器」であることを強調している。
一方日本は、こうした貴重なパイロットに大和魂を強制するだけで、彼らを保護し、無事に帰還させるなどという配慮は“まったく”ない兵器つくりに終始した。戦史の経緯はそれを明確に物語っている。

膨大な貴重な資料とともに、戦争兵器の広告という珍しいジャンルを取り上げた興味深い本であった。
・・・戦時とは言え米国航空工業には競争原理がいぜん存在していたのである。その象徴が、大戦中という国家非常時にも継続されていた企業広告だったのである。・・・(筆者あとがきより)

広告に見るアメリカ航空産業の企業戦略 ウエポンズ アド(WEAPONS AD 絶版
編+著 西村直紀  平成元年10月20日発行  発行所 グリーンアロー出版社
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